讃岐忌部コラム
第1回 讃岐忌部って何?
讃岐忌部(いんべ)。初めて聞かれた方も多いと思います。
昔々、今から1500年以上前のこと。
讃岐(現在の香川県)の土地にやって来た忌部(いんべ)氏という氏族がいました。
忌部氏は、邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨されたときの従臣・布刀玉命(ふとだまのみこと)の部族で次の5つに分けられます。
・手置帆負命(たおきほおいのみこと)
讃岐(香川県)忌部の祖。
・天日鷲命(あめのひわしのみこと)
阿波(徳島県)忌部の祖。
・櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)
出雲(島根県)忌部の祖。
・彦狭知命(ひこさしりのみこと)
紀伊(和歌山県)忌部の祖。
・天目一箇命(あめのまひとつのみこと)
筑紫(福岡県)・伊勢(三重県)忌部の祖。
手置帆負命(たおきほおいのみこと)は天照大神(あまてらすおおかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)の暴行を嫌われて、天の岩戸にお入りになられた時に御殿を造営した神です。
その子孫は神代に讃岐に下ってから、矛竿(ほこさお)を作ることが専業になって朝廷に祭祀ある毎に献上していました。
平安時代(807年)に斎部広成によって編纂された古語拾遺(こごしゅうい)という歴史書があります。
そこには「手置帆負命神の子孫が矛竿(ほこさお)を作る。今は別れて讃岐国に住んで毎年讃岐から大和朝廷に調庸以外に祭具の矛竿800本を貢進していた」旨が記されており、讃岐忌部は工作を業としていたと考えられます。
昔から讃岐というところは、漆器をはじめ一閑張り、丸亀うちわなど工芸美術が発達して名匠が多いですが、この祖先の歴史が継承されているのではないでしょうか。
第2回 サヌキという国名は讃岐忌部が由来?
讃岐忌部は、矛竿(ほこさお)の材料である竹を求めて、いまの三豊市豊中町竹田忌部の地に居を構え、そこを拠点として、特に西讃地方の開発をしていきました。
また、工芸方面に活躍した讃岐忌部は、その後阿讃山地を越えて入国してきた隣国阿波(徳島県)の阿波忌部と協力して土地開拓し、おお麻(ヘンプ)や穀を植えていったようです。
阿波忌部は、歴史書・古語拾遺に「天富命をして天日鷲命の孫を率いて阿波国に移り、穀、麻を植えさせた。その一族がいま阿波におり、大嘗祭に木綿・麻布など種々の物を献上する。それ故、郡の名を麻植という」とあるように麻や穀の栽培など農業に優れていました。
現在、香川県内に麻や粟に関する神社や地名があります。
善通寺市の大麻(おおさ)神社、三豊市高瀬町の麻部(あさべ)神社、観音寺市の粟井(あわい)神社などの神社、また大麻山(おおさやま)、高瀬町麻(あさ)などの地名はその名残なのです。
一説には弘法大師・空海も忌部氏の流れだそうです。
讃岐忌部は讃岐に最も早く移住して開拓した氏族と言われています。
前に述べたように、讃岐忌部の祖・手置帆負命(たおきほおいのみこと)の子孫が讃岐に下ってから、代々矛竿を作ることが専業となって、朝廷に祭祀ある毎に献上していました。
このことから竿調国(さおみつぎのくに、または、さおつきのくに)と呼ばれ、それが「さぬき」という国名になったという説があります。
第3回 金比羅船々は讃岐忌部の歌?
金毘羅船々という歌をご存じですか?
♪金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん)
一度まわれば♪
小学生の頃、意味もわからず歌ってました。
この歌は元々作者不詳で、後付けで4番まで作られています。
古事記の研究を30年されてきたという香川ペトログラフ協会・平井二郎会長によると、この歌は讃岐忌部をうたった歌だと言います。
思い出してください。讃岐忌部の祖は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)でした。
天の岩戸開きで有名な天照大神や葦原中国の国作りを完成させた大国主命などのように、ご神名というのは、その神様の功績や特徴が表されています。
文献等では、この手置とは、古語拾遺(岩波版、西宮一民校注)によると「手を置いて物を計量する」と解釈されています(帆負は解釈が困難としている)。
しかし、手置帆負とは名前をそのまま解すると、手を置いて帆を負う(手を使わない帆を張った船)神です。
そもそも忌部族というのは大陸から渡来してきた海洋民と言われています。
当時の移動にはもちろん船が用いられただろうということ、香川県内における巨石磐座遺跡の位置関係や当時の海岸線なども考慮すると、平井会長が述べるこの説は信憑性が高いと思われます。
その他にも、観音寺市の秋祭り「ちょうさ祭り」の“ちょうさ”とは、長竿(ちょうさ)が語源という説もあって、やはり特に西讃地方で讃岐忌部の歴史が現代に引き継がれていると思わずにはいられません。
第4回 現代の建築祭式で讃岐忌部が祀られる理由
建物を新築する際、棟木を棟に上げた後に行われる儀式を上棟式、上棟祭または棟上げといいます。
上棟式は、地鎮祭、竣工式と並ぶ建築の三大祭式のひとつで、木造建築の儀式が起源となった祭式です。
この上棟式の諸祭神の中に、手置帆負命(たおきほおいのみこと、讃岐忌部の祖)と彦狭知命(ひこさしりのみこと、紀伊忌部の祖)の神名を見ることができます。
☆手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)
ともに山から木を切り出す、あるいは工匠(工作を職とする人)の守護神。
天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、この二神が天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。
天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈りを捧げ、天細女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。
手置帆負命(たおきほおいのみこと)は、後年この間に天降りした大国主命(おおくにぬしのみこと)の笠縫として仕えた。
手置帆負命(たおきほおいのみこと)は雨から身を守る笠を作る神、彦狭知命(ひこさしりのみこと)は盾を作る神、鍛冶屋の神とされている。(以上、「建築工事の祭式」(学芸出版社)P17を参考に一部編集)
これらの祭神名は、上棟の時に工事の概要などを記した後世への記録とする棟札(むねふだ)に墨書きされ、また祝詞奏上の際に奏上されます。
ただし、どの祭式で、どんな祭神を祀るかは建物の種類(木造・RC造・SRC造等)や工事の内容によって神職等が決めるようです。
なお未確認ですが、神社本庁撰定「諸祭式要鋼」において上棟式の基準が示されています。
ご自宅を新築等される時は、これらに注意してみてください。
第5回 香川県内にこんなにある忌部の史跡・足あと
これまで述べてきたように香川県は讃岐忌部にゆかりの深い土地柄であるというのがおわかりいただけたでしょうか。
史跡や足あともそれなりに残っています。
香川県内のゆかりある神社を中心に下記にまとめてみました。
・忌部神社
所在地:三豊市豊中町笠田竹田(祭神 手置帆負命)
忌部氏は居住する忌部の地に、五社明神(現忌部神社)を建てて、祖神の手置帆負命ほか、忌部の諸祖神(天日鷲命・櫛明玉命・彦狭知命・天目一箇命)を祀った。
・五社明神
所在地:三豊市三野町大見竹田(祭神 手置帆負命)
・荒魂神社
所在地:三豊市仁尾町仁尾江尻(祭神 手置帆負命)
・宇賀神社
所在地:三豊市豊中町笠田笠岡(祭神 宇賀魂神、笠縫神)
讃岐忌部の祖、手置帆負命の子孫此の地に永住するに依り、その追随の神に笠縫神あり。
・厳島神社
所在地:三豊市財田町財田上大畑(祭神 手置帆負命)
・粟井神社
所在地:観音寺市粟井町(祭神 天太玉命)
なお、粟井ダムの一角に天太玉命を阿波よりお迎えしたときに立ち寄った場所とされる「御輿連(およれ)社」、柞田川上流の奥野谷口には天太玉命を阿波よりお迎えしたときに、弁当をお開きになって食べた場所との伝承をもつ「飛羅岐(ひらき)社」が祀られている。
・鷲尾神社
所在地:仲多度郡まんのう町十郷(祭神 天日鷲命)
・麻部神社
所在地:三豊市高瀬町上麻(祭神 天日鷲命)
・大麻神社
所在地:善通寺市大麻町上ノ村山(祭神 天太玉命)
・坂本神社
所在地:丸亀市飯山町山の越(祭神 鷲住王)
鷲住王は、阿波忌部族の一派であった天富命の孫で、先祖の天日鷲命が開拓した讃岐平野に進出し、讃岐国造となる。なお氏子にはその末裔の高木氏がいる。
・一王子神社
所在地:丸亀市飯山町東坂元(祭神 秋津根王)
秋津根王は鷲住王の王子。
・三所神社
所在地:丸亀市本島町浦内(祭神 手置帆負命)
・屋島神社内山祇神社
所在地:高松市屋島町東潟元(祭神 手置帆負命)
・ちきり神社内工初神社
所在地:高松市仏生山町百相上町(祭神 手置帆負命)
・多和神社
所在地:さぬき市前山(祭神 手置帆負命、大己貴命)
・誉田八幡神社
所在地:東かがわ市引田(祭神 応神天皇)
手置帆負命の末裔で大内郡の領主である忌部正國が創祀。
讃岐忌部氏聖跡マップ(グーグルマップ)
このように忌部氏に関係する神社が東西に分布しています。
香川県は忌部氏という祖先の血筋や、その歴史を色濃く残している所だと思います。
そしてさらに讃岐忌部は阿波忌部とともに黒潮ルートに乗って関東方面に進出し、足跡を残しています。
祖先なくして私たちの存在はあり得ません。
今一度、讃岐、阿波の地を開拓した忌部氏に思いを馳せ、みんなでチカラを合わせて明るい未来を創造していこうではありませんか!
※フリー百科事典ウィキペディアでも「讃岐忌部氏」について、まとめてみました。よろしければ、お読みくださいませ。
→ 讃岐忌部氏(Wikipedia)
なお、讃岐忌部氏について何か情報をお持ちの方は、ご連絡ください。引き続いて調べて行きたいと思います。
|