買い物カゴをみる 倶楽部さぬきいんべ登録・ログイン お買い物方法ガイド お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
 

大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File007】〜徳島・大麻比古神社編〜

忌部氏の祖神、天太玉命を祀る阿波国一宮・大麻比古神社

徳島・大麻比古神社(神麻しめ縄奉納式)掛け替え

2017年10月28日、予告していました通り阿波国(徳島県)の一宮・大麻比古神社にて神麻(しんま)のしめ縄奉納式が執り行われました。

当日は台風22号の接近により雨の予報(降水確率100%)で雨を覚悟していました。しかし、集合場所の大鳥居の前に着いたころには雨がやんでいました(ご守護です)。

さらに、この日は日本麻振興会「全国の神社仏閣に神麻の注連縄・鈴の緒を奉納する有志の会」による神麻しめ縄奉納の機会(今回で3箇所目)にはじめての参加で、お手伝いをというくらいの気持ちで参加させていただいたのですが、北村隆匡さん(麻福)がしめ縄の先導車の運転をすることになって、なんと私が助手席へ。重要な任務です。

定刻になり、奉納式がはじまりました。麻製の祓串を手にした日本麻振興会の大森由久理事長を先頭に、忌部氏・御衣御殿人(みぞみあらかんど)の三木信夫さんが続き大鳥居下を徒歩で出発、その後を車で今回奉納するしめ縄を先導していきました。後続のしめ縄をかついだ人たちは太鼓の音に合わせて「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声を上げながら、大鳥居から約800mの参道を歩いて行きます。

参道沿いの何軒かの家の方が家から出てこられて見送ってくださり、何とも言えない気持ちになりました。


徳島・大麻比古神社(神麻しめ縄奉納式)麻製と稲わらしめ縄
拝殿前に到着後、神職によりお祓い。この後、稲わら製から掛け替え。


拝殿前に到着。先に稲わら製2本から掛け替えて行きます。その間、神麻製のしめ縄は拝殿の中に。この頃から雨が降り出しました(見計らったように)。

稲わら製2本が終わり、次はいよいよ拝殿の神麻製への掛け替え。不思議と神麻のしめ縄の掛け替えに移ると雨がやむ。

古い稲わら製をはずし、ワイヤを張ってそれに神麻製を吊る段取りで、役割を分担、手際よく脚立を利用しながら設置していきました。

最後に形を微調整。掛け替え無事終了です。神麻しめ縄をバックに奉仕者みんなで記念撮影。この時、うっすらと太陽が顔をのぞかせました。

その後、拝殿にて奉納報告祭へ。関係者、奉仕者、地元の氏子の皆さん合わせ約70名がいっしょに参拝しました。玉串奉奠の後、氏子の小学生4人による浦安の舞。圓藤恭久宮司、三木さんからお言葉がありました。

日本麻振興会の理事、安間信裕さんからこの日は北は北海道、南は九州から参加者があったと報告がありました。


徳島・大麻比古神社(神麻しめ縄奉納式)太鼓奉納
「太鼓一家」による太鼓奉納。書道家・吉野美苑さんによる書の奉納も。


奉納報告祭の後、拝殿前で太鼓一家の皆さまによる太鼓が奉納されました。そして吉野川市の書道家、吉野美苑(びえん)さんが書を奉納。なんと書かれるかなと見ておりましたら、「大麻神」でした。ご祭神の大麻比古大神、そのままを力強く書かれたと思いました。

この後、参集殿に移動。

400年余りの歴史がある地元の伝統獅子舞、桧獅子舞保存会の皆さまによる獅子舞の奉納もあり、これが本当に本格的な獅子舞で感心しました。

日本の伝統文化のオンパレードです。


徳島・大麻比古神社(神麻しめ縄奉納式)オカリナ演奏奉納
参集殿で直会。「アミンダ」の皆さまによるオカリナ演奏の奉納。


直会では圓藤宮司、大森理事長、また氏子総代からごあいさつがあり、地元の皆さんから歓迎されていることを感じた今回の奉納式でした。11月1日が大麻比古神社の例祭です。

思えば、この神社をはじめて訪れたのは2005年(平成17年)4月。その時に背部の大麻山(標高538m)にも登拝させていただいたことを思い出しました(これまで2度登拝)。まさか今回の奉納式のような日が来るとは、、、今までの自分の歩みに思いをはせ、過去を振りかえざるを得ませんでした。

続けているといろいろな出会い、出来事があります。

関係者の皆さま、おつかれさまでした。このような機会をありがとうございました。安間さん率いる日本麻振興会「全国の神社仏閣に神麻の注連縄・鈴の緒を奉納する有志の会」の活動はまだ続きます。


(文責・加藤義行)



参考文献:
「大麻比古神社御由緒畧記」(大麻比古神社)http://www.ooasahikojinja.jp/
「週間 日本の神社No.67忌部神社・大麻比古神社」(デアゴスティーニ・ジャパン)
「国指定重要文化財 三木家住宅」(美馬市・美馬市教育委員会)

大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File006】〜愛媛・西條神社編〜

江戸期創祀、伊曽乃神社お旅所の一角に鎮座する西條神社

愛媛・西條神社

愛媛県西条市の秋祭り、西条まつり。

毎年10月16日の未明には伊曽乃神社祭礼に奉納される100個を越える提灯にろうそくを灯した約80台のだんじり、みこしが伊曽乃神社のお旅所に集まります。

西條神社は、そのお旅所の一角、西条市大町常心(じょうしん)に鎮座しています。(常心は、元は「常真」と書き、常真とは同町・光明寺の開基で、同市を流れる加茂川の川筋を付け替えたこの法師の塚があることからこの辺の地名を常真と呼んだそう)

この神社は西条藩主・松平頼純が1670(寛文10)年に前神寺に創建した東照宮が起源。明治時代の廃藩の際、西条藩の最後の藩主10代・松平頼英のご発意により、1872(明治5)年に現在地に遷座され、のちに西條神社と改称されました。

現在の塩出崇宮司は4代目で、宮司と知り合ったのは、2011(平成23)年の秋、同神社の境内にある参集殿で開催された歴史文化の講座に参加したのがきっかけ。(西條神社では歴史文化活動として、講演会や講座などをしています)以来、いろいろお世話になっています。


愛媛・西條神社(国産精麻のしめ縄)
国産精麻でできたしめ縄(太さ8分×長さ2尺)を取り付け。


神社仏閣用の麻製品を納品していきたい旨を塩出宮司に相談したところ、国産精麻のしめ縄のご注文をいただき境内の小さなお社に取り付けもさせていただくことになりました。

西條神社は戦後、経済的に立ち行かなくなって一時、伊曽乃神社の摂社になっていましたが1982(昭和57)年、元のように独立。このお社は独立した時の摂社だそうです。


愛媛・西條神社(小林一茶句碑)
境内にある俳人・小林一茶の句碑。1795(寛政7)年春、一茶はこの大町の地で句を作った。


しめ縄を納品させていただいた翌月、4月6日に神社の例大祭があると塩出宮司からご案内があり、参列させていただくことに。

この春のお祭りで特徴的なのは、短歌の奉納、詩吟の奉納、それから西条藩ゆかりの田宮流居合術(西条市無形文化財)の奉納があること。(宮司いわく、「文」と「武」を拝殿で奉納するとのことです)

個人的には巫女が豊栄の舞を奉納した際、精麻が付いた榊(さかき)を右手に持って舞っていたのが目を引きました。

この日集まっていたのは氏子はじめ、西條神社奉賛会、西條報恩会など崇敬者の方々を含めて約40名あまり。

式典後には直会があり、その後退席させていただきましたが、午後からは少年剣道大会、奉納カラオケ大会もあったようです。


愛媛・西條神社(勝海舟書「東照宮」)
拝殿にある額は、江戸時代の幕臣、勝海舟の書「東照宮」。山岡鉄舟書の掲額もある。


神社は古来、地域社会の中心だと思いますが、これまで精麻のしめ縄がある神社(仏閣)を巡ってきて、それぞれの場所には、1.心ある人がいる、2.(それをするための)お金がある、3.(人を集める)場の力がある。この3つがあるように感じています。

最初は京都からはじまったこのシリーズ。展開はまったく考えていませんで、ご縁と流れでここまで来ましたが、だんだん“身近”になってきたのは必然でしょうか?


(文責・加藤義行)



参考文献:
西條誌」矢野益治著(新居浜郷土史談会)
「月刊インタビュー2008年9月号」(広告会社ナレーション)
「愛媛県の歴史散歩」愛媛県高等学校教育研究会地理歴史・公民部会編(山川出版社)
「西條史談第99号」(西條史談会)

大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File005】〜徳島・上一宮大粟神社編〜

阿波(徳島県)の国魂・大宜都比売命を祀る上一宮大粟神社

徳島・上一宮大粟神社

上一宮大粟神社は、徳島県神山町に形造られる大粟山(標高255m)の中腹に鎮座する神社です。

ここへ来るのは3回目くらい。最初訪れたときは神山という町名や神社が鎮座する地名が神領(じんりょう)なのですごい!と思いました。

古事記によると、祭神の大宜都比売命(おおげつひめのみこと)とは、国生み神話で伊予の二名島(四国)を生んだ際、「粟国を大宜都比売という」とあります。

大宜都比売命はイザナギ・イザナミの二神から生み出された粟国(阿波国=現在の徳島県)の国魂です。(オオゲツヒメは表記が少しずつ違いますが古事記に4回登場します。詳細は古事記参照ください)

徳島・上一宮大粟神社(鈴緒)
鈴緒には奉納した日本麻振興会の名が刻まれている。


麻文化の継承を目指す、日本麻振興会「全国の神社仏閣に神麻の注連縄・鈴の緒を奉納する有志の会」(栃木県鹿沼市)が2016年から国産精麻を使った注連縄、鈴緒を奉納し始めましたが、その第1弾の奉納先に選んだのは、この上一宮大粟神社。

天皇に麻織物を献上するなど麻と縁の深い徳島で奉納先をさがしていたところ、神社関係者からこの神社を紹介されたのがきっかけだそうです。

同年10月、神社の秋の例大祭に合わせて注連縄3本と鈴緒1本が奉納されました。

奉納された注連縄のうち一番太いものは太さ15cm、長さ5.5mで、製作を担当した株式会社山川(京都市)によると、同じ品質のものは国内にほとんどなく、ずっしり重いといいます。立派な注連縄です。

徳島・上一宮大粟神社(大粟山山頂)
もともと大粟山の頂上に社地があった。現在は祠が祀られる。


神社にお参りした後、大粟山に登ってみました。

「大粟神社」の社伝によれば、大宜都比売神が当地にはじめて粟を栽培したゆえに大粟山と呼ばれ、国名も「粟国」(阿波国)というようになったとされています。

なお、神社は創建時より現在地に鎮座していたわけではなく、最初は大粟山の頂上〔天辺(てんぺ)の丸〕に鎮座していましたが、いつの頃からか現在の大鳥居が立つ古祀場(ふるしば)に移され、後に改めて現在地に遷座されたようです(「神領村誌」)。

現在、大粟山の頂上には祠が祀られています。

徳島・上一宮大粟神社(大粟山からの眺め)
大粟山から西方を望む。高根山や東宮山、焼山寺山といった山々が見える。


古事記において、「国生み」条で生み出された淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・畿内の大八島国のうち、国魂が女神であるのは、粟国の大宜都比売、伊予国(愛媛県)の愛比売(えひめ)、そして対馬の天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)の3カ国。そのうち、2つが四国なんですね。

大宜都比売が鎮まる「神山」、大粟山。そして四国は“始国(しこく)”。上一宮大粟神社が日本麻振興会の注連縄・鈴緒の最初の奉納先になったのは神意を感じてしまいます。


(文責・加藤義行)



参考文献:
オオゲツヒメと倭国創生〜日本の穀物起源神の原像〜」林博章著
「麻100%しめ縄、神山の神社に奉納 日本麻振興会」2016年10月14日付、徳島新聞(徳島新聞社)
日本麻振興会「全国の神社仏閣に神麻の注連縄・鈴の緒を奉納する有志の会」webサイト

大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File004】〜愛媛・内宮神社編〜

創建1300年を越える古社“伊予のお伊勢さん”こと、内宮神社

愛媛・内宮神社(大鳥居)

内宮神社は、愛媛県新居浜市の南、いわゆる上部地区の山あいに鎮座する古社です。

鳥居の写真を撮ろうとしたら、参道の石段に座って休んでいる方がいらっしゃいました。社伝によると、当社は内宮天照皇大神宮と称し、今から1300年余り前の706(慶雲3年)に伊勢国五十鈴川の川上より天照大神を勧請したのがはじまり。

東予(とうよ、愛媛県東部地方)の古い書物に「新居郡に大社二所あり、西に神戸郷伊曽乃神社、東に井上郷内宮神社、祭神天照皇太神云々。」とあり、現在の西条市中野の伊曽乃神社と並んで郡内の大社であったようです。


愛媛・内宮神社(参道)
静かな山あい。300m程の参道を歩くと社殿。


この神社は、秋祭り「新居浜太鼓祭り」の口火を切る太鼓台石段かきあげ神事(毎年10月16日早朝)で有名で、重さ約3tの太鼓台(計4台)を1台ずつ150〜200人のかき夫が参道をかき上げます。



愛媛・内宮神社(参道からみた社殿)
参道からみた社殿。社殿は1776(安永5)年の造営。


新居浜といえば近世、別子銅山により栄えた産業の町で、“住友の町”でもあります。

ちなみに愛媛の郷土料理には、おからの中に炒った麻の実(大麻の種)を入れ、いわしや小あじに詰める「いずみや」というものがありますが、この料理は別子銅山を開坑した住友家が伝えたものとされ、名前は江戸時代の住友家の屋号「泉屋」に由来します。
いつか地元でできた麻の実を使って郷土料理ができたらいいと思います。

愛媛・内宮神社(しめ縄と鈴緒)
精麻の注連縄と鈴緒が設置。


内宮神社に初めて行ったのは、2012年頃。最初は精麻の注連縄があるとは思っていませんでした。何度かお参りして(かつ確認して)そうだと気づきました。物事には時期というものがありますが、その時が来たのかもしれません。


(文責・加藤義行)



参考文献:
新居浜市史」新居浜市史編纂委員会編(新居浜市役所)
「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)
「伊予の台所」愛媛新聞メディアセンター(愛媛新聞社)

大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File003】〜徳島・平等寺編〜

弘法大師が開基、万病に効く「霊水」が今につたわる平等寺

徳島・平等寺(山門)

平等寺は、徳島県阿南市の桑野川を見下ろす小山のふもとにある四国霊場第22番札所。

814(弘仁5)年、弘法大師・空海が41歳のときに開基したお寺で、大師の御作と伝えられる薬師如来がご本尊です。

朱塗りの仁王像が建つ山門を抜け、山側にむけて少し歩くと、正面に本堂へ向かう厄除け男坂、左方に厄除け女坂(いずれも石段)があります。

この日は気持ちのいい風が吹いており、本堂の五色の幕をゆらしていました。

徳島・平等寺(ご本尊薬師如来)
ご本尊の薬師如来(秘仏)。この日は公開中だった。



お参りをすませて、万病に効くという「弘法の霊水」をいただきます。これは大師が掘ったとされる井戸の水のことで、ヒシャクをつかって飲んだり、容器に入れ持ち帰ることができるそう。※容器のない方はお持ち帰り用の容器(200円)が用意されています。

この井戸は「白水の井戸」とも呼ばれる名前の通り、掘られた当時は乳白色の水だったようですが、現在は無色透明。飲んでみると飲みやすい水だと思いました。

徳島・平等寺(弘法の霊水と本堂への階段)
本堂へ続く石段下にある「弘法の霊水」(写真左)。まろやかな味という人が多いという。



その後、寺の見どころを納経所で尋ねるといくつか教えていただけました。

そのうちの1つが、本堂の前からの眺めです。

山の形が頭を左側、足を右側にして弘法大師があおむけに寝ているように見えます。この光景に気づいたのは、2015年半ばのこと。

近隣住民がお寺の裏山の伐採整備をした後、本堂近くで雑談をしていた1人が見つけたといいます。

徳島・平等寺(本堂前からのぞむ風景)
本堂前からみた風景。寝ているお大師さん、見えますか?(よく見てみてください)
 徳島・平等寺(お守り)
 藍染めの袋に国産精麻のヒモがついた特別授与品「あいのたね空海おまもり」



「平等不偏に衆生の苦を医(い)やし去る」という弘法大師の願いにより建立されたという平等寺。

また大師は、動物も草木も人も、天と地と神仏も、みな等しく大日如来のあらわれの1つ、すべてのものは存在としての価値に違いがなく平等であると言ったようです。

境内の隅々に寺を守る人たちの御心が表れていて、それに共鳴した人やモノを呼び寄せているように思えました。


(文責・加藤義行)



参考文献:
「四国お遍路88ヶ所歴史読本」歴史読本編集部編(KADOKAWA)
「四国八十八所遍路 徳島・高知編」宮崎忍勝・原田是宏著(朱鷺書房)
「あったか!こんな風景 平等寺から眺める『お大師さん』」徳島新聞2015年11月3日付(徳島新聞社)


大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File002】〜京都・護王神社編〜

“狛いのしし”がお出迎え、賢人をたたえまつる護王神社

京都・護王神社

護王神社は京都御所の西、幕末の蛤御門の変(禁門の変)で有名な蛤御門の向かいに鎮座します。

この神社で特徴的なのは、鳥居横に狛犬ではなく“狛いのしし”が出迎えてくれたり、手水舎に、いのししの像があったりすること。

まず、狛いのししに見入ってしまいます。

ご祭神の和気清麻呂公命と、いのししの縁から「いのしし神社」とも呼ばれるそうです。

京都・護王神社(霊猪手水舎)
境内に入ってすぐ右側にある霊猪手水舎。いのししの口から水が出ます。



歴史をたどると、創建年は不詳ですが、洛西の高雄山神護寺に和気清麻呂公(733〜799年)の霊社としてお祀りされていたのがはじまり。

それが変遷を経て1886(明治19)年、現在地に移って清麻呂の姉の広虫(730〜799年)といっしょにお祀りされるようになりました。

「護王大明神」の神号を持つご祭神・和気清麻呂公命は、奈良時代の末、皇位を奪おうとした僧・弓削道鏡の野望をくじいて、皇統を守りました。

また、桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りにも活躍した人物です。

京都・護王神社(和気清麻呂公像)
清麻呂公の像。清麻呂公は奈良末〜平安初期の官僚だった。


《僧・弓削道鏡と和気清麻呂公》
奈良時代末、称徳天皇に寵愛された僧・道鏡は、九州の宇佐八幡(宇佐神宮)からご神託があったとして、自らが天皇になろうとたくらむ。
清麻呂公は真偽を確かめるために宇佐八幡へ赴き、先の託宣は神慮に反することを突き止めた。野望を阻止した清麻呂公だったが、道鏡の怒りを買い、広虫姫とともに流罪にされてしまう。
だが、1年後の770(神護景雲4)年、称徳天皇が崩御されると、道鏡は失脚した。
『週間日本の神社No.85』(デアゴスティーニ・ジャパン)P.16より引用、一部編集



一方、姉の広虫は現代でいえばマザー・テレサみたいな方であったようです。

764年、藤原仲麻呂の乱がおこった際、宮中の女官であった広虫はこの乱に加わった人たちの処分について、死刑者の減刑を願い出ました。天皇は死罪を流罪に改めたといいます。

また、このとき広虫は身寄りを失った子供たちを養子として受け入れ、養育したと伝えられており、こうしたことから広虫は「子育て明神」として崇敬されているそうです。

京都・護王神社(中門と拝殿)
中門(写真奥)と拝殿。拝殿(右)は1890(明治23)年の造営。
 京都・護王神社(足のお守り)
 足のお守り。お守りの裏には、いのししが描かれている。



その他、護王神社は、清麻呂が流罪になった際、旅の途中にいのししに足を治してもらったという故事から、足腰のご利益があるとされ、足や腰のお守りがあったり、毎月21日に足腰祭(参列自由、祈願料不要)があったりもします。

清麻呂の名前には「麻」の字が含まれていて、“清廉潔白”(心が清らかで私欲がなく、不正などをすることがまったくない)であったという清麻呂公のお人柄と、精麻でできた注連縄と鈴緒がシンクロしているように感じました。


(文責・加藤義行)



参考文献:
「知識ゼロからの京都の神社入門」佐々木昇著(幻冬舎)
「週間 日本の神社No.85豊国神社・建勲神社・護王神社・梨木神社」(デアゴスティーニ・ジャパン)


大麻(精麻)の注連縄をさがして

大麻(精麻)の注連縄をさがして【File001】〜京都・地主神社編〜

清水寺の北に鎮座する古社、地主神社(地主権現)

京都・地主神社

地主神社は、清水寺の北に鎮座する古社、仏教が入る以前の土着の神であり、古くは「地主権現」と言ったようです。

清水寺の拝観料を納めて、“清水の舞台”を抜けると、地主神社の鳥居が見え、神社へ向かう階段があります。

写真を撮ろうとカメラを向けると、前を歩いていた1人の女性が階段を登って行きました。

京都・地主神社(大国主命と因幡の白兎)
主祭神は、大国主命。因幡の白兎とともにお出迎え。


地主神社は、「恋占いの石」で有名なようで、この石は対になった石のこと。石と石の間は10メートルほど離れています。

解説によると、『ご本殿前の左右にある守護石で両目を閉じて反対側の石にたどりつくことができれば恋の願いがかなうという。一度でできれば願いも早くかない、できなければ願いがかなうのも遅れるという。また友人などのアドバイスをうけると願いを成就するにも人の助けがいるという。』

くる人来る人、皆さんチャレンジされていきます。

私もやってみましたら(笑)、無事たどりつくことができました。


京都・地主神社(恋占いの石)
「恋占いの石」。近年の研究で縄文時代の遺物であるという。


この神社は、本殿・拝殿・総門とともに、境内地そのものが国の重要文化財に指定、また平成6年にユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

さすが古い神社だけあって、恋占いの石以外にも見どころが多いと思います。

京都・地主神社(丸竜)
拝殿の天井に描かれた丸竜は、狩野元信の筆。夜ごと天井を抜け出して音羽の滝の水を飲みに行ったという伝説で知られる。俗に「八方にらみの竜」とも。


創建年代は神代とされ、天皇の行幸はじめ、古くから境内の「地主桜」が謡曲に歌われるなど数々の歴史をもつ地主神社。

この神社に大麻(精麻)の注連縄がある意味。それが実際に足を運ぶことでわかったような気がします。



(文責・加藤義行)

参考文献:
「古い形式を残す地主神社建築」近藤豊編(元大阪教育大学教授)、昭和52年(1977年)発行−「重要文化財・地主神社社殿修復記念誌」より−
「知識ゼロからの京都の神社入門」佐々木昇著(幻冬舎)


ページトップへ